任天堂DS

morris76ers2004-05-12

http://www.nintendo.com/e3_2004/ds/index.jsp
ざっと読んだ感じで特徴は
みたまんま画面が2個(バックライト付き)で、下の一つは触って操作できる。
ワイヤレスに力が入っていて30フィートくらいなら通信が可能らしい。さらに驚いた仕様としてソフト一個でもみんなで遊べちゃうらしい。
マシンパワーは3D演算能力として任天堂64と同等
メディアは新型のものを用意していて1ギガの容量を持っているらしい、しかもデュアルスロットでGBAのソフトも遊べてしまうらしい。
デザインとして折りたたみなわけだが、今のGBAと違って横に長いので安定して持てそうな感じ、発表された時は画面2個ってどうつかうんだろう?意味あんのか?バーチャルボーイの二の舞では?とか際物扱いだったんだけど、2画面を無理やり使わなくても普通のゲームも遊べそうだし(GBAのソフトも遊べるしな)なかなかどうして変化球ではあるが、決して小手先ではない、王者の風格を漂わせるものでありますな。
任天堂DSの特筆すべき機能は通信機能であろう。
任天堂は昔から対戦機能に積極的でそのための通信機能にはいろいろとチャレンジしている。ゲームをコミュニケーション手段として使って欲しいという思いがあってのことだろう。今回特に驚いたのはソフト一本でみんなで遊べるということだ。
このゲーム機のメインユーザーであろう小学生くらいではソフトをそう何本も買うことは出来ない。現実に彼らの中でゲームがコミュニケーション手段として成立しているのであれば、そのコミュニケーションの手段であるソフトを手に出来ないことは凄く残酷なことだ。それは言葉を発することが出来ない心の痛みに等しいかもしれない、言葉を発せられない人には代替手段が存在する(手話、点字etc)が、小学生が仲間に追いつくためにソフトの購入資金を用意することは家庭の事情(貧乏ってことだけでなく理解がない場合も含む)によって不可能に近いくらい困難なことだってある。
高等動物はコミュニケーションを本能的にとりたがる。ネコはにゃーと鳴き、犬はワンと吠えたりと、人間はさらに高度にコミュニケーションをとることによって文明を作った。心通わせ、技術を伝えることで文明は今のように発達したのである。
そして文明の発達によってコミュニケーションの手段としてさまざまなものが生まれた、お決まりのネットや携帯に限らずゲームもコミュニケーションの手段として現実に存在している、それを認めようと認めまいと。
コミュニケーションの手段として、それを容易に取り入れることができることが望ましい、さらに深いことを伝えられればなお良い。ソフト一本で遊べるということはその取り入れる段階として容易であることを可能としている(さらにゲームの内容が深くて面白いものであれば完璧だ)。
任天堂DSの通信機能にメインユーザーである小学生に対する愛と新しいコミュニケーションの手段として広めたいという野望を垣間見て興奮してだらだらと書いてしまった。
CMには永遠の小学生と私が崇拝するBOSEを使ってくれ、もちろんハゲかけた頭はキャップで隠して。